

大阪市浪速区の大阪人権博物館(リバティおおさか)において、企画展「性的少数者の現在〜性のありようを問い直す〜」(2003年11月18日〜12月21日)が開催された。これは、多様な「性」の在り方や、「性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)」の主張・活動を紹介する画期的な展示で、非常に好評を博したという。
また、リバティおおさかでは、「性的少数者の主張」と題した6回連続のセミナーも同時に開催。当事者やその家族も含めて、多くの人が訪れたこのセミナーでは、「性的少数者」が置かれている社会的現状と課題が再認識された。
リバティおおさかの、これらの取り組みは、「性的少数者」にスボットをあて、自らの「性」のあり方についての議論が、より深化していく契機となるのではないだろうか。
今号では「性的少数者」を取り巻く問題を軸に、多様な「性」と「生」のあり方を考えてみたい。
「性」をみつめなおす
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〈生〉まれたての赤ちゃん
〈性〉を決めるのは誰? |
「あなたの性別は?」ときかれた時、皆さんの多くはすぐに答えることかできるだろう。そしてまた、ほかの人も自分と同じように、即答できると考えてしまうだろう。
しかし、人間の「性」というものは、普段わたしたちが考えている以上にたくさんの側面から成り立っている。
例えば、「身体の性」。これは、人間の誕生時に、外見の身体的特徴や染色体検査などによって判断されることが多い。出生届や戸籍に記載されている性別は、この「身体の性」から判断されている。
これに対して、自分が「こうありたい」と精神的に自認する、あるいは「こうありたい」と指向するのが「心の性」だ。
また、「ジェンダー」は、社会的・文化的につくられた性差の概念。「男は仕事、女は家庭」など、性別役割分担の意識は、ジェンダーが作り出した幻想だ。
そして、恋愛や性行為は、「性的対象」をどのように指向するか、という点に顕れてくる。
このように「性」を成り立たせている要素は、少なくとも以上の4つに大別できるが、もちろん、これだけではない。また、この側面の一つ一つも、複数の要素によって成り立っている。実際、各側面における個々人の「性」意識は複雑に作用し合い、日々変化しているといってよい。
「性」は曖昧なもの?
もちろん、それぞれの側面も、簡単に「女」と「男」に分類できるわけではない。「中性」「間性」といった捉え方も必要だし、そもそも「男」と「女」が両端にある訳でもない。つまり、「性」とは、「男」「女」という単純な二分類に収めきれるものではなく、それは多様な要素の集合体、言うなれば、複雑で分類の難しいグラデーションの多次元空間なのだ。私たちはその空間の一点にすぎない。
このように考えると、わたしたちが無自覚に「性」や「性別」と呼んでいるものが、実は如何に暖昧な概念であるか、わかってくるのではないだろうか。一人として同一の「性」を持った人はいないのでは、といった素直な疑問も生まれてくる。
「性的少数者」の現在
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| 無自覚な社会制度が「性的少数者」を苦しめる・・・ |
だが、「性のあり方は多様である」といっても、今のところ、「身体の性」で自分の性別を「男」「女」に分類し、「心の性」や「ジェンダー」、「性的対象」を無意識にそれと同化させている人が大多数である。しかし、あまり知られていないかもしれないが、性的にはこれらの多数者と異なるという意味で、「性的少数者」と呼ばれる、あるいは自らを呼ぶ人々がいる。具体的には、ゲイ、レズビアンなどの同性愛、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(※注)や性同一障害、さらには半陰陽(※注)の人々などが、「性的少数者」と言われる。
現在の、「多数派」を中心とした社会の雰囲気は、時に異質な者、少数者を排除する方向に作用することがある。これは、「性的少数者」の人々もまた例外ではない。
職場や学校、街中での、偏見に満ちた視線が、また、多数者を前提とした法律や制度が、「性的少数者」に位置する人々を苦しめる日本社会。同性婚は認められていないし、同性パートナーの社会的認知も低い。また、例えば、履歴書やアンケート用紙によく見られる、「性別 男・女」という欄。この記述一つをとってみても、性同一性障害や半陰陽の人々から見れば、どれほどの矛盾に満ちているか、想像してほしい。
誰もが心地よい社会へ
「性的少数者」だけが暖昧な性を生きているわけではない。先に延べたように、多数派だと思われている人々の「性」もまた暖昧なグラデーションだといえる。そうであれば、「性的少数者」への配慮がなされる社会、受け容れられる社会とは、多数派の人々も含めて、自らの「性」のあり方を自分で選択できる社会ということだろう。出生時に医師や親という第三者によって受動的に決定された「性別」を疑うことは当たり前の権利ではないのだろうか。
「性的少数者」へのシンパシーと社会的認知。これらが醸成されてはじめて、「性的少数者」を苦しめる制度の改正へと扉が開く。「性」の白己決定が可能な社会、皆が心地良い世の中へ。多様な「性」を生きられる社会を目指して、わたしたちも共に考えていきたい。
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